両親から学んだこと!
俳優の高倉健さんが
10日午前3時49分、
悪性リンパ腫のため
東京都内の病院で死去した。
83歳だった。福岡県出身。
私は学生時代は映画、特に邦画が大好きだった。
当時はキネマ旬報も良く読んでいた。
だから、健さんの映画も大好きだった。
83歳か?
本当に残念である。
私が51歳、私の父は80歳!
父も健さんに近い年齢なので、
ここは父と母から学んだことを
今更ながら振り返ってみたい。
私の父と母は、事情があり最終学歴は高卒で
二人とも大学には行っていない。
父は商業高校卒業後、地元の新聞社
山陽新聞社に入社した。
母は、私が幼いころは、いつも自宅で内職の
ミシンを踏んでいた。
私の記憶に間違いがなければ創作屋さんの
内職をしていた。
その後、天満屋さんのレリアンと言う婦人服売り場に
長く勤務していた。
私は小さな時には、山陽新聞社の社員食堂で
カレーライスを食べるのが楽しみであり
母が時たま、天満屋で買ってくれる
当時の「VAN」や「KENT」の洋服が嬉しかった。
高卒の共働き夫婦の家庭は、決して裕福な家庭では無かった。
そんな私の家庭は実は兼業農家だった。
今でも覚えている小学校の社会科の授業!
先生が「専業農家の家庭!兼業農家の家庭は手を挙げて!」
の一言に当時でもクラスで3名か4名しか手が挙がらなかった。
私は素直に手を挙げて、その日から
「百姓(ひゃくしょう)」のあだ名をもらい、
手を挙げたことを凄く後悔した。
私が父と母から学んだことは「真面目に仕事をすること!」
そして「誰よりも人一倍働くこと!!」
働くとは、傍を楽にすること!!
父と母のDNAはしっかりと私に
刻み込まれている。
私は岡山の歯医者の中で、誰よりも
一生懸命に歯科の仕事に取り組みたい!!
死ぬほど本気で、これからもずっと
歯科の仕事に取り組みたい!!
誰よりも死ぬ気で、仕事に取り組む!
私の死ぬ気での姿を見て、スタッフの
スイッチが入る。
「あんな、院長みたいに、一生懸命仕事なんてしたくない!」
と思スタッフはたぶん当院からドロップアウトすると思うし
私の姿に共感するスタッフは長く当院で頑張ってもらえると思う。
マジメ、まじめ、真面目、なかの歯科!!
明日も明後日も、ずっと死ぬ気で頑張る!!!!!
岡山なかの歯科・矯正歯科クリニック 院長中野 浩輔
- 昭和62年3月 岡山大学歯学部 卒業
- 昭和62年4月 岡山大学歯学部第一補綴科 研修医
- 昭和63年4月 岡山大学歯学部第一補綴科 文部教官助手
- 平成4年4月 なかの歯科クリニック を開設
当院は、岡山市北区矢坂東町での開院当初から3つのスローガン「待たせない」「痛くしない」「よく説明する」を掲げた歯医者作りをしています。