関西二都物語
日曜、月曜と連休の2日
神戸と大阪で研修を受ける。
多くの歯科医師の仲間と出会い
近況を報告しあい、久しぶりの
出会いに感謝する。
その中でもやはり岡山大学歯学部の
同級生は特別!
同級生の活躍に刺激を受けると共に
もっと頑張らないと心の兜を締め直す!!
連休のためか、日曜の朝、
神戸までの新幹線の指定席が取れない。
仕方なく自由席を取り、目の前の「こだま号」に
乗車して、のんびりと神戸を目指す。
この「こだま号」昔はレールスターと呼ばれ
文字通り号数は少ないが、座席が広く
私たち家族は凄く愛していた車両だった。
久しぶりのレールスターはやはり座席は広く
スキスキで快適だった。
が!この「こだま号」唯一大きな欠点があった。
相生駅で後発の「のぞみ号」に抜かれ
新明石駅でまたまた後発の「のぞみ号」に
抜かれたしまったのだ。
49歳の私の歯科医師人生を、まざまざと
見せつけられるようだった。
40歳代前半の歯科医師の先生の活躍は素晴らしく、
私は臨床のレベルとしてはるか後方に追いやられていた。
しかし、最近では40歳前の30代後半の歯科医師の先生方の
活躍も素晴らしく、私は臨床のレベルとして、はるか後方に
追いやられていた。
相生駅と新明石駅で私のすぐ横を
凄い轟音と振動を共にして後発の
「のぞみ号」が私を追い抜いていった。
私には成すすべが無かった。
頭がクラクラするのを感じた。
神戸に着いて、モクダ商会に移動して
福岡の水上先生の素晴らしい歯周病の再生治療と
インプラント治療の長期症例を見せて頂いた。
10年の経過症例は、10年前からそのレベルの診療をして
きちんと資料を採取しているから10年後の今
発表できるのだ。
頭がクラクラするのを感じた。
やばい、もう遅すぎると思うのか?
今から新たに頑張ろうと思うのか?
それは自分次第だとはっきりと感じた。
岡山なかの歯科・矯正歯科クリニック 院長中野 浩輔
- 昭和62年3月 岡山大学歯学部 卒業
- 昭和62年4月 岡山大学歯学部第一補綴科 研修医
- 昭和63年4月 岡山大学歯学部第一補綴科 文部教官助手
- 平成4年4月 なかの歯科クリニック を開設
当院は、岡山市北区矢坂東町での開院当初から3つのスローガン「待たせない」「痛くしない」「よく説明する」を掲げた歯医者作りをしています。